さよなら鳥山明…先生。
今月一日、漫画“ドラゴンボール”などの作者、鳥山明先生がお亡くなりになりました。私 古野が物心ついた頃には、“ドクタースランプアラレちゃん”が連載されており、ここでいうドクター“則巻千兵衛(のりまきせんべえ)”こそ、私が最初に出会った身近な発明家だったと記憶しています。当時まだ、小学校低学年の鼻垂れ小僧でした。
私には二つ上に姉がおり、姉はとても絵が上手く、そんな姉の影響で、鼻垂れ小学生だった私ですが、近々新しい漫画の連載が始まることを早々と知っていました。その時はむしろ「“ドクタースランプアラレちゃん”が終わってしまうんだ…。」という落胆しかなく、とてもさみしい気持ちになったのを覚えています。そして程なくして始まったのが、かの“ドラゴンボール”でした。
ただ、そんなドラゴンボールにも、真っ先に登場したのは“発明家”でした。
ドラゴンボールに出て来るブルマのお父さんは、ホイポイカプセルを発明した偉大な発明家で、ブルマもドラゴンレーダーを発明。この発明が無ければ、ブルマは簡単にはドラゴンボールを見つけられず、四星球(スーシンチュウ)を持つ孫悟空とは出会ってなかったかも知れません。
当時の私は、わざわざ「ドラゴンレーダーをつくって、世界中からドラゴンボールを集めて(揃えて)まで、神龍にお願いごとをするのではなく、願いを叶えられるようなものを何でも作ったらいいのに…。」などと考えてました。当時はまだ物理学など学んでおらず、ホイポイカプセルなども、実現できるものだと感じてましたから。
ただ実際に、初めてドラゴンボールを揃え、神龍が登場した時には、神の偉大さというか、偉大な発明家や孫悟空たちの非力さというか、所詮みんな「お釈迦様の手のひらの上なのか…。」という思いにも駆られました。そしてその思いは、分子、原子、素粒子などを知り、あれから数十年生きてきた今の方が、より濃いものとなっています。
偉大な漫画家 鳥山明先生、ご冥福をお祈りいたします。