すべらない話
有名な〝人志松本のすべらない話〟。何で日常のたわいない話が、あんなに面白いのか(全員が笑えるかどうかは別)、芸人さんは日常的に面白いことが沢山あるのか。
そんなことはありません。答えは二つ。一つ目は「常日頃からの観察力と考察力が違う。」二つ目は「自分が面白いと思ったことの、どこからどこを切り抜いて、何から順に、どの様な口調で話せば『聞き手に追体験させられるか』ということを解っている(技術がある)。」ということです。
一つ目は、物事の味わい方。どんなに凄いものでも、どんなに面白いことでも、ちゃんと理解出来なければ、その凄さや面白さは解りません。つまり、感動したり笑ったりすることが出来ないのです。そして二つ目は、直接は解らない人でも、他人(芸人さん等)から噛み砕いて丁寧に話してもらえれば〝感動したり笑ったりすることが出来る〟ということです。
話を戻すと、面白い話が出来る人と出来ない人との違いは、大きく〝二つある〟ということです。そして前述した二つの内、二つ目の方には〝高等な技術が要る〟ということです。
よく人は「自分と彼との違いは何なんだろう?」と考える時、その違いを一つだけだと思って、考え始めがちです。そもそもそこが、間違っているのです。
例えば大谷翔平選手と私との違い(私が彼の様に活躍出来ない理由)。まず、①持って生まれた才能、②それを十分に発揮するのに必要な練習、③生まれたタイミング(年代)、④チャンスを掴もうとする心意気…等々、いくつも挙げられます。つまり、私が彼のようになれる可能性は0%×0%×0%×0%=百万分の0%なのです。
発明もそうです。日常の中から課題を抽出する。まず、そこからして出来ない人が多いです。するとその人達は「それさえ出来れば…」あるいは「そこが違うのか…」と、真っ先につまずいた目先のそれしか見えなくなります。そもそも、その視野の狭さが〝第一関門〟を突破出来ない理由でもあるのですが。
ただ先に述べたように、本当に出来ていないのは、第二関門以降なのです。なのに〝第一関門を突破出来ない人達〟の大半は、第一関門を突破した人達を一括りに捉えて「凄い!」と崇めてしまい、第二関門以降を突破している凄さを〝理解するキャパシティ〟さえ持ち合わせていなかったりするのです。
私はこのWebサイトで、言わば〝すべらない話〟の様に、そこを丁寧に伝えて行きたいと考えています。